2022/08/18
オリックスを“絶叫応援”する人気YouTuberで、ファンと一緒に野球を楽しみたいとスポーツバー「circle change」を今年都内にオープンさせたB-モレルさん。昨年、大学院を卒業して大手ゼネコン会社に就職するも、バファローズの応援に集中したいと5カ月で退職するなど筋金入りのファンだ。そんなB-モレルさんが語る、オリックスとファームの楽しみ方とは――。
阪神より良かった“還元率”
大阪生まれの僕が野球を見るようになったきっかけは、親に球場に連れて行ってもらったときに応援歌や球場の演出がすごく面白いと思ったことです。2006年当時、僕は小学4年生で、京セラドーム大阪に行くと谷佳知や清原和博がプレーしていました。
中学生の頃までは阪神とオリックスが両方好きでファンクラブに入っていました。でもオリックスのほうがすぐにポイントが溜まり、グッズと交換する際の還元率が良かったんです。大学生になってから春季キャンプやファームの球場に観に行くようになると、選手からサインをもらいやすかったですしね。そういうところで親近感が湧き、気づいたらオリックス一本になっていました。
当時、僕が住んでいたのは大阪だったので、周囲はみんな阪神ファンでした。野球の話になると自然と阪神の話題になり、自分がオリックスファンって言うと「なんで?」って第一に聞かれる。オリックスについて説明する作業が1個増えるのは面倒くさかったですね(笑)。
でも、周りの人をオリックスファンにしたこともありました。オリックスファンがいないなら、自分が増やしていこうみたいに感じていましたね。
モレルの“愛されエピソード”
大学生だった2016年、舞洲にある大阪シティ信用金庫スタジアムに初めてファームの試合を見に行きました。普通に暇だったのと、好きな選手がそこにいたからです。それは、僕の名前のもとになっている、ブレント・モレルです。
来日した2016年、春季キャンプで会ったときにすごく人柄が良かったんですよ。サインをもらおうと声をかけたら、「今はちょっとダメだ」って最初は断られたんです。「でも練習が終わったら絶対帰ってくるから、そこにずっとおっとけ」って。冗談半分で聞いて、そこにおったらホンマに帰ってきて、「待たせたな!」って。めっちゃカッコ良かったですね。
モレルは4月21日が誕生日で、オリックスに来て1年目のその日は仙台の楽天戦で初回の第1打席から2打席連続ホームランを打ちました。ところが雨が降ってきて、3回途中で降雨ノーゲームになったんです。来日初ホームラン、しかも誕生日のホームラン2発が幻になるという“愛されエピソード”が僕は好きでしたね。
ファームだけに存在する楽しみ
来日1年目のモレルは思うように状態が上がらず、ファームに落ちていた夏、舞洲まで見に行きました。
球場の雰囲気で京セラドームと違いを感じたのは、応援歌がなかったことです。ファームに行くのは選手個人のファンも多いと思うので、試合に集中して静かに見ているような感じでした。
でも、ファームにもスタジアムDJがいて、球場を非常に盛り上げていたことも印象に残っています。ファンの入場前に選手が並んでハイタッチをしてくれるお出迎えがあり、ファームならではの距離の近いファンサービスもすごく良かったですね。
当時、舞洲の屋台で売られていたたこ焼きも美味しかったです。イニング間にYMCAを踊って、一番踊った人が景品をもらえるというエンタメ要素もありました。
一軍の試合を見に行くと、チームを応援して勝ってくれたらうれしいなって感じですけど、ファームでは勝ち負けが気にならない。そうした点で楽しみ方が違いますね。
モレルのようにお目当ての選手の活躍を見に行くとか、サインをもらいに行くのがメインの楽しみです。特にモレルがいる頃は、ファームにも結構行っていました。
電撃引退、そして意志を継いで……
エピソードとしてよく覚えているのは、2017年9月頃、舞洲にモレルを観に行ったときのことです。スタメンで出ていたけど、途中交代しました。
普段はファームの試合が終わった後、選手が帰っていく出口で待っているとサインをもらえるから出待ちをしていたけど、モレルは現れなくて。
試合中に帰ったのかな、やる気ないやん。俺、ファームに来た意味ないやん……と、ちょっと失望して帰ったんですよ。裏切られたみたいな気持ちで。
翌日、「モレル引退」というニュースが出ました。実家の都合で、家族経営のブドウ農園を継ぐことになった、と。たぶん前日に途中で帰ったのは、引退の打ち合わせとか、実家がいろいろ大変やからだろうなって思いました。
やっぱり、寂しかったですね。2017年も一軍での出場は38試合だったけれど、打率.276と全然活躍できなかったわけではないので。もしかしたら、次の年も契約延長があるかなって思っていました。
活躍できずに戦力外になるなら、あきらめがつくじゃないですか。でも、まだできるのに引退というのはもどかしかったです。
ただ、実家を継ぐってことなので。しかも、ブドウ農園なので……。
日本での最後の試合は広島で行われたウエスタン・リーグのビジター戦で、選手たちから胴上げされていました。その場に行くことはできなかったけれど、最後から2番目の試合は見ていたんだなって。そんなことを思い出しながら、彼の決めたことを応援するしかないと思いました。
YouTubeへの投稿は以前からやっていましたが、モレルが引退を決めた2017年11月、僕は顔出ししてYouTuberになりました。そこで名前をどうするかとなり、モレルが引退して日本からいなくなってしまったということで、モレルが日本でやり残した意志を継ぎたいなっていうのもあって、「じゃあ俺がモレルになってやろう!」と「B-モレル」にしたんですよね。「B」はバファローズであり、名前のブレントでもあります。
最下位から優勝。オリックスからの“メッセージ”
昨年、ご存知のようにオリックスは優勝しました。じつは前の年の2020年に僕はYouTuberを「引退宣言」したんです。大学院を卒業して就職することが理由でした。
当時も一応知名度はあったけれど、今ほどの規模ではなく、職業にするのは全然まだまだという状況でした。じゃあいっそ今年でスパっと辞めてしまって、と思っていたんですよね。「だから今年絶対優勝しろ。俺、もうYouTuberやめるから」って言ったら、最下位で……。最下位で終わるわけにいかないので何とか会社で働きながらもう1年応援してみようということで、引退撤回して続けました。
でも、かなり忙しい会社で、働きながらYouTubeに以前と同じような熱量を注ぐのは難しかったです。一方、B-モレルという立場でオリックスを応援できて、いろんな人に支持されている自分もいます。会社で仕事をずっと続けたら、絶対YouTuberの活動は両立できないと思いました。
それで入社5カ月で辞めましたけど、迷いましたね。大学院まで行ってちゃんと就職活動して、一流企業と言われるような会社に入っているし、そんなにギャンブラーな性格でもないので。それでも辞めることにしたのは、YouTuberとしての活動一本になるわけでなく、何とかして両立できる道を探せればいいかなと思い、今の会社にいるべきではないという結論に至ったからです。
僕がそんな決断をした年に、オリックスは25年ぶりの優勝を飾りました。たぶん、引退宣言した2020年に優勝していたら、本当にYouTuberを辞めていたと思います。オリックスが優勝したから心置きなく、普通に会社員として働いていたでしょうね。
そこを1年遅らせて優勝したのは、僕に「YouTuberを続けろ」って言っているのかな、みたいな(笑)。「お前はもっとイバラの道を生きろ」というオリックスからのメッセージなのかなと受け取りました。だからこそ今後も、一軍、ファームともにそれぞれの楽しみ方を追求していきたいと思っています。
インタビュー/構成:中島大輔 企画:This、スカパー!